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やっと逢えました

[2024.11.24]

 2024年11月3日、北見芸術文化ホール音楽ホールにおいて、『大沼ピアノ教室』のピアノ発表会が開催されました。

 この発表会は、北見市内で30年以上の歴史を誇る『大沼ピアノ教室』が、毎年この時期に開催しているピアノコンサートです。『大沼ピアノ教室』でピアノのレッスンを受けられている全生徒さんが、それぞれの日頃の練習の成果を発表する舞台です。幼稚園児から高校生まで、一人で弾くソロ演奏や二人以上で弾く連弾演奏の形で演奏されます。それぞれの演奏者は非常に張り詰めた緊張感の中で、次々と見事に演奏をしていきます。

 私は、ご縁があって毎年拝聴させていただいておりますが、今回は、私にとって“感動の出逢い”のステージとなりました。

 当院での手術において、私はいつも患者様と私自身がリラックスできるように、手術室の中で音楽を流しています。具体的には、スマートフォンを通じて、海外のラジオ局からランダムに放送されるピアノのクラッシック音楽などを流しています。

 私は音楽の知識がないので、流れてくる曲名はほとんどわからないのですが、その中でも、心に響く、心に残る曲が次第に出てきます。いつも手術の最中なので、心に響いた残った曲があっても、その曲名をスマートフォンの画面表示で確かめることができません。

 そのような中で、最も心に響いた残った、お気に入りの曲が、手術以外の時間に放送を聴いていたある時に、たまたま流れてきて、ようやく曲名と作曲者名を知ることができました。その曲は、フランツ・リスト作曲の『愛の夢 第3番』でした。その時は、お気に入りの曲にようやくたどり着くことができたことに感動せずにはいられませんでした。

 そして、今回のピアノ発表会において、なんと、その『愛の夢 第3番』の生の演奏を聴くことができました。演奏者は『愛の夢 第3番』を見事に弾ききって下さいました。

 長きにわたって、いつか逢いたいと願っていた人にようやく初めて逢うことができたような感動を覚え、思わず目頭が熱くなり、涙が溢れ、嗚咽が漏れそうになりました。

 その音色のみならず、両手の指と足を凄まじいスピードで動かしながら演奏する姿も目の当たりにすると、そこまで仕上げるために、日々血の滲むような凄まじい努力を重ねてきた姿を想像してしまうことも感動する大きな要素になるのだと思います。

 実際に嗚咽が漏れてしまうと、演奏会の会場で雑音を立てることはご法度ですから、大変なことになりますので、必死にこらえました。まさに“感動の出逢い”となりました。

 “感動の出逢い”といえば、私の中で、過去にもう一つ印象深い出来事があります。それは、奈良県の中宮寺にある国宝『菩薩半跏像』との出逢いです。

 それは、私がかつて、広島県福山市に移住していた頃、休日に家族と一緒に、奈良県を生まれて初めて訪れた時の出来事でした。

 私の出身高校は、函館ラ・サール高校ですが、当時、函館ラ・サールには修学旅行がありませんでした。全生徒の3分の2が函館以外の道内外からの生徒で寮生活を送っており、寮生は日頃から寮費の負担があるために修学旅行が無いと聞いたことがあります。開校当時は修学旅行はあったそうです。

 修学旅行が無い代わりに、高校2年の時に「クラス旅行」というのがあり、クラスごとに独自に旅行先を決めて2泊3日程度の小旅行に出かける機会はありました。私のクラスは、担任の先生のご友人が岩手県の盛岡市にいらっしゃるというお話から、盛岡市への旅行となりました(他のクラスは、ルスツ高原の遊園地が多かったと記憶しています)。

 函館港から青函連絡船に乗り、青森からバスで盛岡市に移動し、盛岡市内のユースホステルに宿泊しました。当時はまだ、青函トンネルが開通しておらず、その年は青函連絡船のラストイヤーでした。ソウルオリンピックの真っ只中でもあり、バスの車中のテレビで、確か柔道で金メダルを獲得した齋藤仁選手の試合を見ていたと記憶しています。

 盛岡市内で、クラス全員で「わんこそば」を食べ(100杯食べると、豪華賞品だったか無料だったかのチャレンジをクラス全員で行い、100杯達成した猛者も何人か出ました。その猛者たちの何人かは後でトイレで吐いてしまったそうですが・・・。ちなみに、私は確か50杯超で記念の日本手ぬぐいを獲得するのがやっとであったと記憶しております。)、数名のグループで、電車に乗って平泉を訪れ、歴史の教科書の写真でしか見たことのなかった中尊寺金色堂などを実際に見たりしました。今ではとても印象深い良い思い出となっています。

 私の世代は、北海道内の高校は、修学旅行で古都である京都と奈良を訪れることが定番でしたが、修学旅行が無かった私は京都、奈良を訪れる機会がなかったのです。

 福山から新幹線に乗り、電車やバスを乗り継ぎながら、京都と奈良を旅行したのですが、京都は大人になってから学会で訪れたことがあったものの、奈良は全くの初めてでした。

 代表的な観光名所を訪れる中で、中宮寺を訪れた際に、入口で手にしたパンフレットに、どこか見覚えのある仏像の写真が載っていました。それは、国宝の『菩薩半跏像』という仏像だったのですが、私が小学生の頃に、切手で見たことで記憶していた(ほんの一時期、切手のコレクションにチャレンジしていたことがありました。)仏像でした。

 お寺の中に入って、実際に、『菩薩半跏像』を目の当たりにした時、その美しさに思わず息を飲みました。想像していたよりもずっと小柄でしたが、きれいな黒色で黒光りしたその姿は、素人の私にも本当に美しいと感じられました。

 切手で見た記憶しかなかったその姿に、全く意図せず偶然に逢うことができた瞬間でした。それまで切望していたわけでもなかったのですが、見た瞬間、「やっと逢えた・・・。」という何とも言えない不思議な感動を覚えました。

 文明の発達により、現代は、インターネットを利用すれば、直接会わなくとも画面を通じて、相手の顔を見ることも声を聞くことも可能になりました。しかしながら、何ともうまく表現できないのですが、現場で直接会って、同じ空間で同じ空気を共有することとの違いは大きいと感じることもあります。

 ラジオや録音を通じて間接的に聴くよりも、会場で直接五感を使いながら生の演奏を聴くことによって得られる感動は格別なものであること、紙面や画面を通じて間接的に見るよりも、現地で周りの空気も感じながら実物を直接見ることによって得られる感動は格別なものであることを、今回のピアノ発表会で改めて感じました。

 

 

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