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夏の思ひ出~青春の輝き~

[2025.09.03]

 2025年9月2日で、開院して4年10か月が経過しました。この日までに、14326名の新規の患者様が来院され、4468件の手術を施行させていただきました。

 今年の夏は本当に暑かったですね。その暑さは数字にも表れていて、北海道のこの夏の平均気温は平年に比べ、7月は+4.8℃、8月は+3.7℃も高かったそうです。体感的にも、湿度が高い、いわゆる蒸し暑さを感じる日が多かったと思います。道民が夏に本州に移動したときに感じる“もわっとした”“じめっとした”暑さを彷彿させる日が多かったように思います。

 9月に入っても本州ではまだまだ猛烈な暑さの日が続いているようですが、こちら北海道は朝晩はかなり涼しさを感じるようになり、日中の予想最高気温が30℃を越える予報はめっきり少なくなりました。

 本当に暑い夏でしたが、今年の夏は、ご縁があって、ある学校の学校祭を直接見せていただく機会に恵まれました。かつて自分が通っていた学校ではありませんし、時代も違うので、自分の時代とは異なる部分もありますが、生徒さん達の一瞬に懸ける熱量など、基本的な部分は私の時代と変わっていないのだなあと感じられ、幾度となく懐かしさが込み上げてきて胸が熱くなりました。

 私は高校時代、部活動をやっておらず、学校と寮を渡り廊下で往復する単調な日々の繰り返しでしたので、学祭期間は、夜遅くまでの準備期間も含めて学校全体が非日常の空間となり、本当に楽しい時間であったと記憶しています。今回、35年以上の時を越えて当時の記憶が甦ってきました。

 当時の学祭の期間中は、市内の女子高生が大挙として押し寄せ(男子校でしたので、生徒達は皆、それはもう大興奮です!)、グラウンドのメインステージでは、コピーバンド(BO∅WY(ボウイ)、THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)など)、コピーアイドルグループ(光GENJIなど)、オリジナルバンドなどの演奏、ミスコンテスト(浅香唯、工藤静香、Wink(ウインク)など当時のアイドルの女装をした生徒が歌って踊るのですが、バックダンサーなどもいて、そのクオリティの高さに絶句しました。その他、黒木瞳の朗読という変化球などもありました。)、ミュージカル(ウエストサイドストーリーなど)など、野外フェスのような雰囲気で、大いに盛り上がり、まさにお祭りの雰囲気でした。毎年オリジナルデザインのうちわが配られ、生徒全員が揃いのうちわを片手に歩いていたことも印象深いです。

 クラスごとの企画では、1年生の時は、担任の先生が、世界史専門の先生であった関係で、古代ギリシアの哲学者『ソクラテス』についての演劇でした。私はセリフが一言あったかなかった位のチョイ役でしたが、小学校の学芸会(当時の小学校の学芸会は、劇、遊戯、器楽演奏などに生徒が分かれて発表を行っていましたが、私は好んで劇に参加することが多く、セリフが多く独唱もある主役もやったことがありました。今では自分でも信じられないのですが当時は立候補してやっていました。)以来の演劇でしたので、懐かしさ新鮮さを感じながら真剣に取り組んでいました。

 2年生の時は、『宮越(みやごえ)一座』という劇団をクラス全員で結成して、教室に花道付きのステージを作って寸劇やバンド演奏などを行いました。当時の担任が宮越先生という先生で、過去に担当していたクラスで『宮越一座』を結成していたというお話から、その伝統を引く継ぐ形での結成となりました。私の配属は『ベクトルマン』というオリジナルのヒーローもので、私は悪役の『スカラーマン』の手下という役でした。ちなみに『ベクトルマン』と『スカラーマン』というのは、当時の数学の授業においてベクトルの分野を習っている最中で、生徒達の中では旬であった“ベクトル”“スカラー”からヒントを得て誕生したキャラクターでした。今思い返すと、本当にくだらない、子供だましのような寸劇でしたが、やっている方は楽しかったです。

 3年生の時は、『江戸屋』という駄菓子屋でした。グランドの脇に生えていた笹を大量に刈り取って、学校の中庭に運び、それらを材料に小屋を作り(木の骨組みから全て生徒たちの手作りでした。私は只々指示された通りに黙々と作業を行っていましたが、思い返すと、そのノウハウを習得しているクラスメートがいたことに驚愕です。)、駄菓子を売りました。小屋の脇に作られた小さなステージの上では、コピーバンド(COMPLEX(コンプレックス 吉川晃司と布袋寅泰のユニット)が印象的でした。)や大道芸人に扮した生徒などがパフォーマンスを行っていて、お客さんが呼び込むまれるという流れでした。小屋に掲げられた看板に毛筆で書き込まれた、とんでもなく達筆な『江戸屋』という文字(書道の達人のようなクラスメートが書いた)が今でも脳裏に強烈に焼き付いています。

 大人目線で見ると、学祭でやっていることは、あくまで“模擬”の世界なのですが、生徒にとっては、大人ではない自分にできる最大限の“本物”の世界です。限りなく“本物”のクオリティに近づけようと、懸命に知恵を絞って考え、造り出すことが、将来、実社会に出た時の疑似体験となり、机の上の勉強とは違う様々なことを学ぶ機会となっているはずです。生徒によっては、自分に割り当てられた仕事に意外な楽しさ、やりがい、適性などを見出して、将来の職業選択のヒントを得ることもあるかもしれません。大人になる前の本当に貴重な時間だと思います。

 さて、先日8月31日には、札幌市で『北海道マラソン2025』が開催されました。私は今回も参加させていただき、なんとか通算27回目のフルマラソン42.195km完走を果たすことができました。またしても散々なタイムでしたが・・・。

 今回の“道マラ”は、練習の走行距離もまずまずで、故障もなく、風邪もひかず、体重コントロールも良好、カーボローディング(炭水化物の摂取をレースの6日前から控えめにし3日前から多くして体内にエネルギー源を蓄える)・ウォーターローディング(水分の摂取をレースの3日前から多くし体内に水分を蓄える)も予定通り実施でき、睡眠も十分で、当日朝の排便も良好と、出走前のコンディション作りがこれまでで最もうまくいった、“過去一”のような気がしておりました。しかも、当日の天気予報においても、曇り空でそれほど気温も上がらないとの予報でしたので、真夏のマラソンであっても良い記録(あくまで自分なりのですが)が狙えるかもしれないと期待して臨みました。ところが、スタートしてみると、夏の太陽も顔を出し、湿度も高かったのでしょうか、予想に反する暑さを感じたため、前半ペースをかなり抑え気味にしないと後半大失速してしまうと判断し、自己ベストの更新は断念し、道マラでの自己ベストを狙うつもりで走りました。

 しかしながら、スタミナを温存したつもりが後半になっても脚は重くなる一方でペースは上がらず、挙句の果て、ゴールまで残り600メートル付近で突然強烈な吐き気が生じて、立ち止まってしまいました。吐き出してしまえば一気に楽になるとも思えたのですが、きれいに整備された札幌大通りのコースで、しかも沿道の多くの観客の目の前で吐くわけにもいかず、立ち止まったまま吐き気が過ぎ去るのを只々待つしかありませんでした。そうなってしまうことを避けるためにペースを考えていたはずなのに・・・。悔しい思い、情けない思いを抱きながら最後は歩くようにしてゴールしました。

 何がダメだったのか、ペース配分が間違っていたのか、フォームが崩れていたのか、給水の量やペースが間違っていたのか、補給食の種類を変えたからなのか、シューズの選択を誤ったのか、歳のせいなのか、結局練習方法か・・・。今もあれこれ考えています。元々自分のポテンシャルが低いこと(子供の頃から短距離走は大好きでしたが長距離走は大の苦手でした)は重々承知の上で闘っているのですが、今後も“弱者なりの闘い方”を追求しながら挑戦を続けます。

 最後に、今回も、道マラのボランティアの方々には大感謝です(今回も私の家族が給水ボランティアとして参加してくれました。せっかく応援してくれたのに、カッコイイ姿でゴールすることができず、情けない結果になってしまい、申し訳ない気持ちで一杯ですが、青春の一ページになってくれるとありがたいです。)。暑い中、波のように押し寄せる大量のわがままランナーたちに、水、スポーツドリンク、スポンジ、氷、給食、などのサービスをして下さり、ランナーが駆け抜けた後に散らばっている大量の紙コップなどのゴミの片づけをして下さり、勇気・元気の出る熱い声援を下さり、本当にありがとうございました!

 

 

 

 

 

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