27年ぶり
2026年9月2日で、開院して5年10か月が経過しました。この日までに、16618名の新規の患者様が来院され、5456件の手術を施行させていただきました。
今年の夏、実に27年ぶりに倶知安町とニセコ町を訪れる機会がありました。27年前、医学部を卒業して3年目に、大学の医局の人事で、倶知安厚生病院に勤務していた時以来です。
当時の倶知安町は、まさに雄大という表現がぴったりの‘蝦夷富士’羊蹄山(間近で見ると思わず息を飲む美しさです)の麓で、日本なのに、北海道なのに、私の中では、どこか異国のような空気を感じる町という印象でした。隣のニセコ町が当時からスキーを中心としたリゾート地でしたので、その雰囲気の影響が強かったのかもしれません。
田舎と言えば田舎でしたが、私が生まれ育った北見地方の田舎町とは、明らかに違う空気、雰囲気で、なんとなくワクワクさせられる感じがしていたと記憶しています。
勤務した倶知安厚生病院も、とてもアットホームな雰囲気で、診療科のみならず、事務部、検査部、看護部の垣根を超えた一体感があり、たった半年の勤務の間でしたが、様々なイベントがあり、とても楽しい思い出として心に残っています。
中でもとてもユニークで印象深かったのが、正式名称は忘れてしまったのですが、病院で複数のチームに分かれて参加したママチャリ耐久レースです。当時倶知安町内にあった本格的なサーキット場「北海道スピードパーク」を会場に開催された自転車レースで、チームのメンバーが交代しながらママチャリで制限時間内に走った距離を競います。実際何時間だったのか、正確な時間は忘れてしまいましたが、数時間という感じだったとは思います。サーキットは意外とアップダウンがあり、しかも変速ギアの無いママチャリで走りますので、すぐに太ももがパンパンに張ってしまい、とてもつらかったのですが、楽しい大人の大運動会といった感じでとても楽しかったです。
その他にも、病院単位での野球大会(厚生病院の全国大会を目指す野球大会)やアウトドア感いっぱいの雰囲気の中でのバーベキューなど楽しい思い出が数多く残っています。
個人としても、大学卒業後働き始めてからコツコツ貯めたお金で、初めてクルマを購入するという出来事がありました。それまでは、大学生の時に親に買ってもらった中古のファミリーカー(いすゞのジェミニ)に乗っていたのですが、思い切って、マツダのRX-7(FD3S型)に乗り換えました。札幌市内のディーラーさんに行って真新しい車に乗り込みハンドルを握って、大興奮かつド緊張の中で倶知安の自宅に戻った道のりは、夢のような時間でもあり、本当に思い出深いです。アクセルを踏むとすぐにエンジンが反応して一気に車が加速するという、自分と車が一体になったような感覚は今まで経験したことがなかったので本当に感動しました。車を運転する楽しさを始めて感じた瞬間でもありました。当時は独身で、自分一人のために使える時間が多かったので、時間があれば洗車をしてワックスをかけてピカピカに磨いていました。あまりに気合が入りすぎて、磨き過ぎでバックミラーの塗装の一部が剥げてしまいとっても後悔して落ち込んだことも今では良い思い出です。
さまざまな思い出が詰まった倶知安町を久しぶりに訪れ、当たり前と言えば当たり前ですが、町のいたるところが27年前とは変わっていることを目の当たりにしました。勤務していた病院は新しい建物に建て替えられ、住んでいたアパートは見当たらず、良く通っていたラーメン店、中華料理店は別のお店に変わってしまっていました。前出のサーキット場も閉鎖されていました。
倶知安町もさることながら、隣町のニセコ町の変貌ぶりには、大きな衝撃を受けました。それまで、ニュース等で外国人人気によるニセコの活況ぶりを見聞きしてはおりましたが、今回実際にニセコまで足を延ばしてみると、それを理解することができました。27年前の当時からどこか異国のリゾート地のような雰囲気漂わせている地ではありましたが、現在のニセコは、当時のレベルをはるかに超えて、巨大な近代的なホテルがいくつも立ち並び、もはや日本ではなく外国と化してしまったような雰囲気となっていました。
コンビニエンスストアで売られている物も、普段見かけないような物がいくつもあり、とんでもなく高価な洋酒が並んでいて驚きました。直感的には「こんなものが売れるのだろうか?」と思うのですが、次の瞬間には「でも、売れるから置いてあるんだよな」と納得させている自分がいて、日本と他の国との経済格差、日本経済の衰退ぶりを痛感させられました。
さて、そんな久しぶりに訪れた倶知安町において、ご縁があって、中体連のソフトボールの全道大会を観戦することできました。倶知安町には、広大なソフトボール場があり、27年前の私が住んでいた当時も、実業団の大会が開催されておりました。そのグラウンドで、全道各地から集まった中学生たちの‘ガチンコ’の真剣勝負を目の当たりにすることができました。
中学3年生にとっては、負けたら終わりの最後の大会、毎日毎日続けてきた努力の結果の全てをぶつける試合ですから、緊張感がみなぎっており、選手たちの表情や掛け声は真剣そのものです。観戦する側もその雰囲気を肌で感じ、どんどん試合に引き込まれていきます。この晴れの舞台、この瞬間、この一球のために、どれほどの膨大な時間とエネルギーを費やしてきたかと想像するだけで胸が熱くなります。
個人戦ではなくチーム戦ですから、個々の選手の結果はチーム全体に影響を及ぼすことになり、そのプレッシャーは相当なものだと思います。控えに回っている選手達も試合に出れない悔しさはあるに違いないのですが、それをグッと胸にしまって、出ている選手をサポートするため、勝利をつかむため、自分にできることに全力を注ぎます。そんな姿を見ていると感動を覚えずにはいられません。
昨今は、少子化で部活動に参加している子供の数が減少し、どの競技も学校単位でのチームを存続させることが難しくなってきているようです。この大会においてもトーナメント表のチームを見てみると、複数の学校による合同チームがいくつもあり、部活動の実情を実感させられます。私が子供の頃は、どの競技も各学校に1チームが当たり前のように存在していましたので、寂しさを感じざるを得ません。
しかしながら、そのような状況下ではありますが、選手達の真剣なプレー、指導される先生方の熱意は、昔と何ら変わっていないと感じます。規模は小さくなっても、スポーツに情熱を注ぐ、注ぎたいと思っている人たちは、今の時代でも変わらず確かに存在していると実感します。
学校の先生方が意図しない形で部活動の顧問にあてがわれる、時間外労働であるにも関わらず賃金が支払われないなどの問題から、全国的に学校の部活動が廃止され、地域のクラブチームに移行するという流れが進んできているようです。
その一方で、学校の先生の中には、部活動の指導に情熱を注ぎたいと考えている先生が存在していることも事実(北見市が実施したアンケートにおいても、部活動の指導を希望されている先生が一定数存在しているという結果が出ているようです。)であり、国や自治体には、何とかその情熱を消してしまうことないような仕組み作りをしていただきたいと切に願います。
子供たちにとって、部活動は学校の授業では得られない様々な学びを得られる場であることは間違いありません。そこから色々な意味で人生の可能性が広がっていく子も少なくないはずです。部活動が世界的にスタンダードではない、日本特有なものだとしても、決してマイナスのことばかりではなく、優れた点も沢山あるはずです。諸外国ではスタンダードではないからといって、日本の部活動の優れた点を差し置いて、諸外国に倣うという考え方にも違和感を覚えます。
クラブチームへの移行は、特に地方になればなるほど、子供たちや家庭において交通面や経済面などの問題が大きくなり、地域間の格差が拡大することも懸念されています。先生方においても移動の問題や時間のマネージメントの問題などの懸念があります。クラブチームへの移行は避けられないのであれば、自治体任せでは限界があるでしょうから、国全体を俯瞰しての国からの支援は不可欠であるように思います。少数切り捨てをすることなく、部活動の優れた火、そこに情熱を注ぐ子供たちの火、先生たちの火を消すことなく、何とか引き継いでいただけることを願っております。
国および地域の存続や発展において、教育は最重要項目であると思います。教育を疎かにしては明るい未来はないと言っても過言ではありません。教科を教えることのみならず、人間形成も教育に関わる方の重要な役割ではないでしょうか。部活動は、人間形成においても重要な役割を担ってきたと個人的には思っておりましたが、今回、部活動に取り組む全道各地の子供たちと先生方の姿を目の当たりにして、部活動の素晴らしさを改めて認識しました。
昨今は、教育に関わっている方々の長時間労働や労働と賃金のアンバランスの問題がしきりに取り沙汰されています。財政状況は厳しいかもしれませんが、将来のために、国には改善策を是非とも期待したいです。

