メニュー

最高のチーム

[2023.04.02]

 2023年4月2日で、開院して2年5か月が経過しました。この日までに、8592名の新規の患者様が来院され、2269件の手術(このうち白内障手術は2226件)を施行させていただきました。

 前回のブログでもご紹介しましたが、3月12日から18日の『世界緑内障週間』では、当院において、グリーンライトアップを行い、スタッフ全員が世界緑内障週間バッチを付けて診療を行いました。

 私自身も、緑内障診療について改めて考える良い機会となったように思います。期間中に新たに緑内障が見つかった患者さんが何人もおりました。40歳以上の20人に1人の割合で発症するといわれている緑内障ですから、本当にたくさんの患者さんが存在していることは間違いありません。

 現在の医学では欠けてしまった視野を治すことはできません。将来的には再生医療の分野が進歩すれば治すことが可能となるかもしれませんが、それまでの間はできるだけ早く病気を発見して進行を食い止める治療を開始することが最重要ポイントです。眼科医としては、健診や日常診療において一人でも多くの緑内障患者さんを見つけ出して、失明の危機から救い出してあげたいという思いを常に強く抱いております。

 さて、先日のWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)での侍ジャパンの活躍を皆さんはご覧になられたでしょうか。本当に心が震えるような戦いぶりだったと思います。まさに、世界最高の野球チーム、『最高のサムライ』でした。

 私は、小学4年生から中学3年までの6年間と大学の6年間の計12年間野球部に所属していた野球大好き人間です。個人的には、今回の侍ジャパンは、2004年の夏の甲子園大会で北海道勢として初めて日本一に輝いた駒大苫小牧高校と2016年に最大11.5ゲーム差を逆転して日本一に輝いた北海道日本ハムファイターズに並ぶような感動的な活躍であったと思っています。

 特に感動したのが、チームの団結する姿です。侍ジャパンに召集されたメンバーは、日本のプロ野球あるいはアメリカのメジャーリーグベースボールにおいて超一流の選手たちです。それでも大会を通じて一度も出場機会が与えられなかったり、わずかな出場機会しか与えられず、いわゆる補欠や裏方の役回りとなった選手の方もおりました。

 すべてのメンバーは超一流の野球エリートですから、野球を始めた子供の頃からずば抜けた能力で補欠に回ったことなどほとんどなかった選手たちのはずです。内心では悔しい気持ち、うらやましい気持ちでいっぱいであったに違いありませんが、それでも誰一人としてそれを表に出すようなことはなく、それぞれの役割を見つけてチームの勝利のために貢献しようとする姿勢に感動しました。

 例えばの話ですが、先のサッカーワールドカップにおいても、サッカー日本代表が世界の超強豪国を次々と破る見事な活躍を見せたことは記憶に新しいのですが、これまでのサッカー日本代表を振り返ると、途中で代表落ちした選手や補欠としての招集を依頼された選手が、そっぽを向いてチームに背を向けてしまう、それをメディアの前であからさまにしてしまうようなことをたびたび目にしたり耳にしたりするのですが、文化の違いなのか、野球の場合はそのようなことが皆無であるように思います(あくまで私の主観で、メディアの切り口のせいかもしれず、サッカーファンの方からは、私の偏見であるとお叱りを受けてしまうかもしれませんが。)。

 とってもスケールの小さな話になってしまうのですが、侍ジャパンの団結する姿を見て、私が大学生の頃の野球部のことが思い出されました。

 医学部生の野球部は草野球同然のレベル(中にはプロ野球のドラフトにかかりそうだったとか、甲子園に行けそうなレベルだったという人、そこまでいかなくてもバリバリの高校球児だった学生もぽつぽつと存在します。)ですが、それでも全国の国立大学医学部の野球部のほとんどは、6年間ほぼ全てのエネルギーを野球に注ぎ込むような学生生活を送ります。大学に入るまで、運動に打ち込むような生活を送ることができなかったことの反動がきて、溜め込んでいたエネルギーを一気に爆発させる学生がほとんどだからだと思います。

 私は幸運にも、とてもハイレベルな先輩達がいらっしゃったおかげで、東日本医科学生総合体育大会、全日本医科学生体育大会王座決定戦など、数々の大会において優勝を経験することができました。大好きな野球に浸り、まるでプロ野球選手にでもなったかのような「野球漬け」の生活を送ることができ、且つ優勝の喜びを体感できた6年間の大学生活は、まるで夢のような時間でした。

 私の所属していた野球部は1年生から6年生までで総勢30人前後の部員と10人前後の看護学生のマネージャーからなる結構な大所帯の部でした。野球はポジションが9つしかありませんから、当然補欠のメンバーも出てきます。中には6年間続けてもほとんど試合に出ることなく卒業していくメンバーも存在します。

 それでも医学部生の全国大会での優勝に向けて、例え試合に出られなくとも、それぞれの部員がそれぞれに役割を見つけて全うしようとします。心中では悔しい気持ちで一杯であるはずなのに、それを微塵も表に出すことはせず、明るく淡々と一生懸命にプライドをもって自分の役割を果たし、勝利を目指します。全員が熱い気持ちを持って、多くの時間を共有して勝利に向かって突き進むので、勝っても負けても、レギュラーも控えも関係なく涙を流して思いを分かち合います。

 私は比較的出場機会に恵まれた方だった(小学校と中学校時代はレギュラーと補欠の境界線くらいの存在でした。)ので、出場機会に恵まれない部員の心中を察すると、心が痛く、頭の下がる思いを抱いておりました。試合に出ている時は常に、「控えの部員の分も結果を残さなければならない。」「絶対にミスは許されない。」「絶対に負けられない。」という思いで、極限の緊張感の中で戦っていたように思います。

 卒業後26年経った今、改めて部活動を振り返って全体を見渡した時に、控えのポジションを全うした部員こそが、人として本当に価値のある存在であったように思います。

 

 

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME