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『旭川医大野球部50周年』に想う

[2023.10.07]

 2023年10月2日で、開院して2年11か月が経過しました。この日までに、9926名の新規の患者様が来院され、2781件の手術(このうち白内障手術は2732件)を施行させていただきました。

 記録的な猛暑の夏が嘘のように、朝晩の気温がぐっと下がり、一気に秋になった印象です。

 10月1日(日)には、札幌市で開催された『第48回札幌マラソン』(ハーフマラソン21.0975km)に参加してまいりました。

 1週間前のオホーツク網走マラソンの後、脚にダメージが残っており、スタート直後から脚がいつになく重く感じられ、途中ペースアップしたものの後半から再び鉛のように脚が重く感じられ、どんどんペースダウンしリタイアも考えたほどでしたが、何とかゴールしました。

 さて、今年、私がかつて所属していた旭川医科大学準硬式野球部が創立50周年を迎えました。残念ながら私は他の行事があるために参加できませんが、10月7日(土)には、50周年記念祝賀会が旭川市で開催されます。

 半世紀という歴史を重ねていることを感慨深く思うと同時に、時の流れの速さを痛感させられます。

 旭川医大野球部では、毎年『球音』という機関紙が発行されておりますが、10年ごとの節目では、いわば特大号のような形の記念号が発行されます。先日、『球音』準硬式野球部創立50周年記念号が私の手元に届きました。

 その記念誌には、1期生のOBの先生から現在現役の学生さんまで数多くの方々から寄せられた文章や写真、過去の戦績などが掲載されております。

 旭川医大は1973年に創立され、当時は新設医大の一つでしたから、他の多くの大学医学部に比べて歴史が浅い存在です。

 私は19期生で、学生時代は北海道大学医学部や札幌医科大学の野球部の歴史の長さや伝統の力をうらやましく思っておりましたが、旭川医大野球部も50年もの間廃れることなく維持され存在していることは、立派に重みのある歴史を積み上げていると言えるのではないでしょうか。

 記念誌のページをめくり、OBの先生方の文章を1期生から順番に読ませて頂くと、創立当時の、部員0人から部員を集めて立ち上げたエピソードや現在のような専用グラウンドがなく旭川市内に練習場を求めて彷徨っていたエピソード、専用グラウンドができても土が石ころだらけで石拾いから始まったエピソードなど、まさに旭川医大野球部開拓時代ともいえる時代の苦労話を目にして、ジーンと胸が熱くなりました。

 部として試合に参加できるようになっても簡単には勝つことができず、初めて出場した医学生の全国大会では、対戦した東京の私立医大のチームに「北海道のイモ野郎、早く帰れ!」と心無いヤジを浴びせられ、敗退したこともあったそうです。

 そこから、徐々に、勝利することだけを目標に、創意工夫、努力を重ね、組織として成熟し、大会で上位に進出するようになり、そして何度も優勝を重ねるようになり、今や全国の医学生の野球部としては強豪の一つに数えられるようになった歴史は、まるで漫画のサクセスストーリーのようです。

 私の現役当時は、幸運にも旭川医大野球部の黄金期の一つと言える時代でした。私は残念ながらチームの足を引っ張る存在にすぎませんでしたが、野球センスの塊のような先輩が数多くいらっしゃったおかげで(中には、たゆまぬ努力をコツコツ続け、大舞台でサヨナラホームランを放った先輩もいらっしゃいましたし、もちろん、表には出てこなくとも個々の役割をコツコツと全うして支えた全部員がいて、チーム全体がまとまってこそなのですが)、何度も檜舞台に立たせていただき、数多くの優勝を経験させていただくことができました。

 個人的には、4年生の時に東日本医科学生総合体育大会(医学生の全国大会にあたる大会で東日本と西日本に分かれて開催されます)の決勝戦で、センターのポジションを守っていた私が幸運にも優勝が決まるウイニングボールとなるセンターフライをキャッチすることができたことは、これまでテレビでしか見たことのなかった、まさに夢のような瞬間でした(いつもチームの足を引っ張っている存在だった私がオイシイところをいただいてしまったことへの罪悪感はございます。)。

 昨今は、少子化やライフスタイルの変化、教育への考え方の変化などの影響からか、野球部のみならず、部活動に所属する子供、学生が減少し、部活動の存続が困難になっているという話を耳にするようになりました。

 私が大学野球部を卒業して26年以上経過しましたが、仕事においても、日常生活においても、様々な場面において野球部での経験や思い出が紐づいて甦ってきます。

 思い返せば、私の旭川医大への入学は、第一志望の大学ではなかったため、とてもモヤモヤした心境での入学でした。それというのも、私は北見市生まれで、北見市の小学校、美幌町の中学校に通い、高校は函館で寮生活でしたので、都会への憧れを強く抱いており、なんとしても都会で大学生活を送りたいという強い思いを持っておりましたが、大学入試では第一志望の大学には合格できなかったためです。

 ところが、そのモヤモヤした心境は、旭川医大準硬式野球部との出会いで一変しました。大学入学後はせめて都会的なイメージのテニス部(部というよりはサークルのようなゆるいイメージ)にでも入ろうかと考えていましたが、経験のあった野球への思いと先輩の方々のお人柄や部全体の雰囲気などから最終的に野球部へ入部しました。入部後も、勝利に向かって真剣に取り組む部の姿勢が、高校時代部活に所属しておらず、真剣勝負のスポーツに飢えていた私にピッタリ合致したのだと思います。

 講義の後も土曜日曜休日も毎日のように遅くまで練習し、いつもヘトヘトでしたが、野球以外の部分でも、先輩方が親身になって面倒を見てくださり、食事や銭湯や温泉に連れて行って下さったり、いろいろなところへ観光や遊びに連れて行って下さったりと、大学生活をくよくよしている暇がないほどに充実したものにして下さいました。

 一つの目標に向かって、ほとんどの時間を費やして、チーム全体で真剣に取り組んできた経験や、そのことによってもたらされた苦しい思い出や楽しい思い出が、何年たっても私の人生に多大な影響を与え、支えとなっていることは間違いありません。

 今回の記念誌に寄せられているどの文章を読んでも同様の思いが込められているように感じられ、「ああ、みんな野球部に対して同じ思いを抱かれているんだなあ。本当に素晴らしい部なんだなあ。こんな部に巡り会えた自分は本当に幸運だったなあ。」と改めて胸が熱くなりました。

 青春時代において、部活動で一つの目標に向かって皆で力を合わせて真剣に取り組むことによって得られる経験や思い出は、人生において、社会に出てからでは得られない、後から決してお金では買うこともできない、本当に貴重な財産となることは間違いありません。

 是非とも、今の若い人たち子供たちにも、運動系でも文化系でも構いません、部活動で仲間達と真剣に取り組む経験をして欲しいと思っています。

  今回、野球部創立50周年記念誌を読ませていただくことで、野球部の歴史を改めて知るとともに、自分の学生時代をじっくりとしみじみと振り返る時間を得ることができました。まるで、タイムマシーンに乗って昔の自分に会いに行くような時間旅行ができた心境です。

 多忙な中、貴重な時間と労力を割いて記念誌の作成に関わって下さったすべての方々、特に旭川医大準硬式野球部の編集担当の学生さんには心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 写真は、『球音』準硬式野球部創立50周年記念号と東日本医科学生総合体育大会優勝時のウィニングボールを捕球したグローブです。グローブは、31年前、大学野球部入部後に親に買ってもらったもの(確か3万円くらい)で、当時から毎日丁寧に手入れをして使っておりましたので、保存状態も良く、まだまだ使えます。今も大切に保管しております。現役時代、私の技術の足りない部分を補って、何度もピンチから救ってくれた、抜群の球際の強さを誇る最高の相棒です。

追伸:後日、10月7日に行われた50周年記念祝賀会の写真が送られてきました。学生時代に一緒に戦った同期、先輩、後輩のお顔を拝見し、いろいろな想いが一気に押し寄せて、笑みと涙が溢れそうになりました。

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